歩きスマホを減らすために、何か良い方法はないだろうか。
街を歩きながら、ふとそんなことを考えていた。すれ違う人に向かって毎回「危ないですよ」と声をかけるわけにもいかないし、かといって「一人ひとりのモラルや注意力に期待しましょう」で済むなら、とうの昔に解決しているはずだ。
もう少し自然に、仕組みの力で減らすことはできないだろうか。
そこで思いついたのが、ごく単純なアイデアだった。
「その人が見ているスマホの画面に、直接注意を出せばいいんじゃないか?」
見ていない看板より、見ている画面に出せばいい
街頭のポスターや看板は、そもそも歩きスマホをしている人の視界には入らない。視線はずっと手元の画面に落ちているのだから、届けるべき場所は看板ではなく、その画面そのもののはずだ。
たとえば、歩いている間だけ、起動しているアプリの上に「周囲を確認しましょう」と控えめにオーバーレイ表示を出す。あるいは、画面の輝度を少し落としたり、文字を少し読みづらくしたりする。そして、安全な場所で立ち止まったら、すっと元の表示に戻る。
けたたましい警告音で叱りつけるのではなく、「あ、自分はいま歩きながら見ていたな」と本人がふと気づけるくらいの、ささやかな合図でいい。
頭の中では、完璧な名案に思えた。スマホのセンサーで歩行状態を判定し、その間だけ画面の見せ方を変える。なにもSFのような未来技術を開発する必要はない。現代の技術なら、すぐにでも形にできそうだ。
「これ、意外と簡単に作れるのでは?」
正直なところ、このときの私は少し誇らしい気分にすらなっていた。
調べてみたら、すでにGoogleがやっていた
ところが、意気揚々と調べてみて驚いた。似た思想の機能は、とっくに世の中に存在していたのだ。
Google Pixelの「Digital Wellbeing」には、まさにそのものずばり、「前方注意(Heads Up)」という機能が搭載されている。設定をオンにしておくと、画面を見ながら歩いていることを検知し、前を見るよう通知で促してくれる。
「あ、もうあったんだ……」
自分のひらめきなど、とっくに巨大テック企業が形にしていた。まあ、世の中そういうこともある。
さらに調べていくと、交差点に近づいた歩行者のスマホへ警告を表示する「StreetBit」という2021年の研究も見つかった。ただ、その論文を追ってみて興味深かったのは、警告を出せば誰もが歩きスマホをやめるわけではなかった、という点だ。全体としては明確な行動改善が見られなかったものの、特定の条件に当てはまる一部の利用者においては改善が確認されたという。
ここで、私の認識は大きく揺らいだ。
「まだ誰も作っていないから、自分が作ろう」という段階ではなかったのだ。すでに先行例はある。けれど、ただ画面に注意を出すだけで、誰にでも同じように効くわけではない。
では、いったい何がそんなに難しいのだろうか。
「いや、座ってるんですけど」問題
自分が使う側の立場に立って具体的な利用シーンを想像し始めた途端、いくつもの厄介な課題が浮かんできた。
たとえば、電車の座席に座ってスマホを眺めている場面を想像してみる。電車の揺れや加減速をセンサーが拾って、突然「歩きスマホは危険です!」と画面が塞がれたらどうだろう。
「いや、座ってるんですけど」
そう苛立って、一瞬でアプリをアンインストールしたくなるはずだ。
逆のパターンも厄介だ。歩きスマホに気づいてハッとし、安全な通路の端に立ち止まったのに、判定が追いつかずいつまでも警告画面が消えなかったらどうだろう。安全に行動しようとした人ほどストレスを感じることになる。
私が最初に考えていたのは、「歩いているときに出す」という片道のことだけだった。だが実際にシステムとして成り立たせるには、「歩いていないときは絶対に出さない」「止まったら一瞬で解除する」という、誤検知のない精緻な判定までセットで考えなければならないのだ。
さらに、警告の見せ方そのものにも疑問が湧いてきた。
画面を少し見づらく加工すれば、人は画面から目を離してくれるだろうか。もしかすると、「なんだか読みにくいな」と、かえって画面に顔を近づけて凝視してしまうかもしれない。これは実験で実証されたデータではなく設計段階の懸念に過ぎないが、作る前に慎重に見極めるべき大きなリスクだ。
かといって画面を完全にブラックアウトさせてしまえば、急いで地図を確認したい人や、緊急の連絡を返している人の行動まで力ずくで奪ってしまう。安全のために導入した仕組みが、別の不便や、路上での立ち往生という新たな危険を生んでしまっては本末転倒だ。
考えなければならない変数が、一気に雪崩を打って押し寄せてきた。
「注意を出すこと」と「問題を解くこと」の違い
さらに思考を巡らせるうちに、もっと根本的な問いに突き当たった。
そもそも人は、なぜ歩きながらスマホを見ているのだろうか。その理由は決して一つではない。
手持ち無沙汰でなんとなくSNSをスクロールしている人もいれば、見知らぬ街で道に迷い、必死で地図アプリとにらめっこしている人もいる。
前者のような「無意識の暇つぶし」であれば、ふと我に返らせるような通知や画面の制限が、行動を改める良いきっかけになるかもしれない。
だが、後者に対して「画面を見るな」と警告を突きつけるのは、なんの解決にもならない。画面を隠されたところで、「道がわからない」という切実な問題そのものは路上に置き去りにされたままだからだ。目的地がわからない人は、警告を消したあと、結局またスマホを開くしかない。
だとしたら、本当に必要なのは画面の警告ではなく、街の分岐点にわかりやすい案内サインを増やすことかもしれない。あるいは、通行人の邪魔にならず、安心して立ち止まってスマホを操作できる「退避スペース」を歩道や駅に整備することかもしれない。
最初は「スマホの画面の中で何ができるか」ばかりを考えていたはずなのに、気づけば私の思考は、案内看板の配置や都市の空間設計という、画面の外側の世界へと広がっていた。
完全な解決策はなかった。けれど、考える余地はある
今回調べた限りでは、これさえ導入すれば歩きスマホの問題が一挙に解決する、というような魔法の特効薬は見つからなかった。
けれど、だからといって先行する機能や研究が無意味だとはまったく思わない。
どのような条件なら効果を発揮し、どのような状況を苦手とするのか。その違いを丁寧に切り分けながら、適材適所で組み合わせていくことこそが現実的なアプローチなのだと思う。
「見ている画面に注意を出せばいいじゃないか」
最初の思いつきは、そこで思考が止まっていた。
いまの私が気になっているのは、その先にある問いだ。「いつ出すのか」「誰には出さないのか」、そして「その人は、そもそもなぜ画面を見ているのか」。
一見すると簡単そうに見えたのは、解決策がシンプルだったからではない。自分がまだ、問題のほんのひと欠片しか見ていなかったからなのだ。
歩きスマホという身近なテーマを掘り下げてみて、何より面白かったのは、自分自身の視界がそうやって少しずつ開けていくプロセスのほうだった。


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